BLOG
ブログ
“転職”から人生の”転機”へ
2022.09.24
夢がなくなり転職から人生の転機へ
遡ること10年前、私が初めて社会人の仲間入りをしたのは20歳の年でした。
社会人といっても陸上自衛隊への入隊だったので、社会人になるという感覚とは少し遠いものでした。
陸上自衛隊へ入隊した経緯を少し話すと、
元々父親が消防士という職業についており、自身もその道へ進もうと専門学校へ通い、公務員試験の勉強を行っておりました。学生時代は遊び>バイト>筋トレ>勉強というぐらい勉強の優先度は低く、それを2年間続けた結果…第一志望であった消防試験は見事に落ち、滑り止め感覚で受けた自衛隊へ合格しました。
実は合格はしたものの、自衛隊の試験も鉛筆を転がして問題へ回答していました。
家が母子家庭ということもあり、浪人するつもりはなかったことから、泣く泣く陸上自衛隊へ入隊しました。
入隊後は学生時代に柔道へ打ち込んでいたこともあり体力面では他と競っても引けを取らずそれなりに評価はされてましたが、特に自衛隊でこうなりたい!という目標が見つからず1年で辞めるという考えへ至りました。
辞めるのも、ただ辞めるのではなくすぐに仕事を探さなくてはいけません。
当時は1.2月でしたので、中途半端な時期にあり求人媒体を開くと介護職ばかりがズラッと載っていました。
21歳の当時の私はとにかく自衛隊を辞めたくて、とりあえず給料が高い順に3つ候補を置き面接スケジュールを組みました。
自衛隊から介護へ
私の自衛隊をやめたい!という願いが天に届いたのか、1つ目の面接先(一番給料が高かった)である有料老人ホームへの就職が決まりました。
この頃からすでに、自分のやりたかったことは何か?どうなりたいか?等、夢という概念は私の思考から遠ざかっていました。
この介護職では、21歳~26歳までの5年間お世話になることになります。
介護にも慣れてきた23歳の頃、学生時代に2年間お世話になったアルバイト先である「王道居酒屋のりを千日前店」戻ってこないか?とお話しを頂き、介護職で正社員をしながらでしたが掛け持ちでアルバイトとして戻ることとなりました。
戻り始めの1ヵ月は本業優先を名目に「所詮バイト」のような感覚で働いていた僕に一つの大きな出会いがありました。
当時”のりを千日前店”は全店舗でもほぼ最下位の売上実績が連発していたことで、本部から統括マネージャーが店長として就任することが決まりました。
“店長とアルバイト”から”社長とマネージャー”へ
当時から、アルバイト内でもこのマネージャーは厳しいで有名でしたので、かなり構えていました。
しかし、初日の個人面談の際にアルバイトである私への丁寧な挨拶をしてくださる姿に「噂のような人には見えないなぁ」と感じたことを今でも覚えています。
そこから、約1年半共に勤務させてもらい、店長からは主に礼儀、考え方、人の部分を教わりました。
私の気分が下がったときは色々な話をして頂きました。
「所詮アルバイトと思って働いてても、全力で働いてても同じだけ時間は過ぎるけど、その時間で得るものとその先に残る成果は大きく変わる」という言葉は私の心を揺らし、アルバイトである私にもしっかりと人としての付き合いをしてくださった店長を深く尊敬する期間となりました。
見事、千日前店の業績を回復させた店長は自身で新たな事業を始め、独立するとのことで千日前店をあとにしました。私もそれからまもなくして本業である介護に専念するべく千日前店を去りました。
その店長が始めた新しい事業は瞬く間に世に知れ渡り、成功を遂げ次々に店舗展開を進めていきました。
別の道へ進んでから約2年が経った頃、介護をしていても先が見えずマンネリ化してしまい下を向いていた私へ、ものすごいタイミングで「仕事頑張ってるか?」と元店長から連絡をいただき私はその時「やっぱりこの人と仕事がしたい!同じ景色を見たい!」と強く思い、数日後自身から連絡をいれ一緒に働かせてほしいと伝えました。
ここまで読んでいただいた方はお気づきだと思いますが、実は当時お世話になった店長が、今現在私が勤務している㈱HIC 代表取締役 西田社長です。
長くなりましたが最後に…
人の繋がり、ご縁で今の自分があり、今では人繋ぎのお仕事へ携わらせていただいてます。
何より考え方、転職を考えたときにどうなりたいと強く思ったか。をブレずに突き詰める事が何よりも大切だと思います。
当時は店長とアルバイトという関係だったところから今現在、社長とマネージャーという関係になれている。社員やアルバイト一人一人会話をし、次は私が繋いで行けるようにと思って精進して参ります。。。
ここまでが私が現職に就くまでの経緯となります。
MG 田上 凛